肯定されるべき「自己」とは何か
近年、
「自己肯定感」という言葉を
目にしない日はない。
自己肯定感を高めよう。
自己肯定感が低いから生きづらい。
自己肯定感こそが大切だ。
それらは善意から語られていることが多い。
しかし同時に、
この言葉には
どこか説明しきれない違和感が残る。
「自己を肯定する」とはどういうことか
そもそも、
自己肯定感とは何を指しているのだろうか。
・自分を好きでいること
・自分に価値があると思えること
・自分を否定しないこと
定義は文脈によって揺れる。
その曖昧さゆえに、
誰もが「足りていない側」に
置かれやすい言葉でもある。
「肯定できていない自分」は、
暗黙のうちに
問題として扱われる。
肯定できないことは欠陥なのか
自己を肯定できない瞬間は、
誰にでもある。
失敗したとき。
誰かを傷つけたと気づいたとき。
自分の未熟さを直視せざるを得ないとき。
その状態は、
本当に「悪いこと」なのだろうか。
自己否定は、
必ずしも自己破壊と同義ではない。
それは、
価値観を持ち、
反省し、
変わろうとする過程でもある。
自己肯定感が「義務」になるとき
自己肯定感という言葉が
持つ危うさは、
それが努力目標や
義務のように扱われ始めたときに現れる。
肯定できないのは
努力が足りないから。
意識が低いから。
心の持ちようが悪いから。
こうした語りは、
苦しんでいる人に
さらに負担を重ねる。
「前向きであるべき」という圧力は、
形を変えた同調圧力でもある。
他者評価との奇妙な関係
自己肯定感は、
しばしば「自分で自分を認めること」と説明される。
だが現実には、
他者からの評価と
切り離されて存在することは難しい。
成果、承認、役割。
それらを通じて
自己肯定感が補強されることも多い。
つまり、
「自己」肯定感と呼ばれながら、
社会構造の影響を強く受けている感情でもある。
肯定よりも必要なもの
人にとって本当に必要なのは、
常に自己を肯定することなのだろうか。
むしろ重要なのは、
自己を正確に見ることではないか。
できること。
できないこと。
誇れる部分。
修正すべき部分。
それらを過度に美化もせず、
過剰に貶めもしない。
肯定よりも先に、
理解がある。
自己肯定感という言葉を手放すという選択
自己肯定感という言葉が
すべて誤りだとは言えない。
ただ、
それに縛られすぎると、
感情の自然な揺らぎが許されなくなる。
自分を肯定できない日があってもいい。
自分を好きになれない瞬間があってもいい。
それは、
生きている限り避けられない状態だ。
結び――肯定しなくても、存在していい
人は、
自己を肯定できるから生きていいのではない。
生きているからこそ、
肯定できない瞬間も含めて自己が存在する。
自己肯定感という言葉に違和感を覚えるのは、
それが人間の複雑さを一つの尺度に押し込めようとするからかもしれない。
肯定できなくても、
迷っていても、
揺れていても。
それでも人は、
存在していていい。
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