知ることと許されることの間で
科学は、
世界を理解するための強力な手段だ。
自然の仕組みを解き明かし、
予測を可能にし、
技術へと応用されてきた。
一方で、
科学が進むほど、
倫理との距離が問題として浮かび上がる。
知ることと、
それを行ってよいことは、
常に一致するわけではない。
科学は「事実」を扱う
科学が扱うのは、
原則として事実と因果関係だ。
何が起きているのか。
どうすれば再現できるのか。
どの条件で結果が変わるのか。
そこには、
善悪の判断は含まれない。
科学は、
価値中立を目指す体系として発展してきた。
倫理は「価値」を扱う
一方、
倫理が問うのは「どうあるべきか」だ。
何が許され、
何が許されないのか。
誰が守られるべきか。
どこまで踏み込んでよいのか。
倫理は、
人間社会の価値観や合意に依存する。
そのため、
時代や文化によって変化する。
距離が生まれる理由
科学と倫理の間に
距離が生まれるのは、
両者の問いが異なる方向を向いているからだ。
科学は「できるか」を問う。
倫理は「してよいか」を問う。
科学が進歩するほど、
「できること」は増える。
だが、「してよいこと」は自動的には増えない。
距離を無視したときに起こること
科学の成果を、
倫理的な検討なしに利用すると、
深刻な問題が生じる。
人体実験。
大量破壊兵器。
監視技術。
これらは、
科学的には可能でも、
倫理的には強い疑問を伴う。
距離を無視すると、
科学は人を守る道具から、
人を傷つける力へと変わりうる。
倫理が科学を止めるべきか
では、
倫理は科学の進歩を制限すべきなのだろうか。
倫理が過度に科学を縛れば、
有益な研究や医療の発展が妨げられる可能性もある。
ここで重要なのは、
対立ではなく対話だ。
科学と倫理は、
どちらが上位かを決める関係ではない。
距離を保ち続けるという選択
科学と倫理の距離は、
埋めるべき隙間ではなく、
常に意識すべき緊張関係とも言える。
距離があるからこそ、
問いが生まれる。
立ち止まる余地が残る。
近づきすぎれば、
どちらかが形骸化する。
結び――距離は責任の表れ
科学が進歩する社会では、
倫理は後追いでは不十分だ。
同時に、
倫理だけで未来を決めることもできない。
科学と倫理の距離は、
人間が自分たちの力をどう扱うかという
責任の距離でもある。
その距離を常に測り続けること。
それ自体が、
文明の成熟を示す一つの指標なのかもしれない。
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