変わり続けるものに進歩はあるのか
倫理は、
しばしば「時代遅れ」だと言われる。
かつて正しかったことが否定され、
新しい価値観が
より洗練されたものとして提示される。
この変化を見て、
私たちは問いを立てる。
倫理は進歩しているのだろうか。
それとも、
ただ形を変えているだけなのか。
倫理は技術のようには測れない
技術の進歩は、
比較的わかりやすい。
速くなった。
小さくなった。
効率が上がった。
だが倫理には、
明確な指標がない。
「より善くなった倫理」を数値で示すことはできない。
この時点で、
倫理を技術と同じ意味で進歩と呼ぶことには慎重であるべきだ。
倫理が変わる理由は「理解の拡張」
それでも、
倫理が変化してきたことは確かだ。
奴隷制の否定。
人権概念の拡張。
差別への感度の変化。
これらはしばしば倫理の進歩と呼ばれる。
だがよく見ると、
起きているのは「善の発見」ではない。
配慮の範囲が広がっただけとも言える。
誰を人として扱うか。
誰の痛みを想像できるか。
倫理の変化は、
人間の想像力の射程が
広がった結果だ。
倫理は常に遅れてやってくる
倫理は、
未来を先取りしない。
多くの場合、
被害や犠牲が顕在化してからようやく語られる。
環境問題。
労働問題。
技術と人権。
倫理はブレーキとして働くが、
アクセルではない。
この構造の中で、
倫理が「進歩している」と感じられるのは、
問題が先に生じているからだ。
進歩しているのは倫理か、人間か
倫理が進歩しているように見えるとき、
実際に変化しているのは倫理そのものではない。
人間の立場。
社会構造。
力関係。
それらが変わることで、
倫理の形も調整される。
つまり倫理は、
独立して進歩するものではなく、
人間社会の変化に引きずられて更新される。
倫理は完成に近づいているのか
もし倫理が進歩するなら、
どこかに完成形があるはずだ。
だが歴史を見る限り、
倫理は完成に近づいてはいない。
むしろ、
新しい技術や状況が生まれるたびに、
新しい問題が現れる。
倫理は、
解決される対象ではなく、
繰り返し発生する問いだ。
結び――倫理は「進歩」ではなく「更新」される
倫理は、
直線的に進歩するものではない。
より高みに向かうのではなく、
環境に応じて書き換えられていく。
だから問うべきなのは、
「倫理は進歩しているか」ではない。
今の倫理は、
誰を想定し、
誰を想定していないのか。
倫理は完成しない。
だが問い続ける限り、
硬直もしない。
進歩という言葉を使うなら、
それは倫理そのものではなく、
倫理を問い直そうとする人間の姿勢に対して向けられるべきなのかもしれない。
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