秩序と個人のあいだ
私たちは日常の中で、
数え切れないほどのルールに囲まれて生きている。
法律、校則、社内規定、暗黙のマナー。
それらは多くの場合、
「守るべきもの」として提示される。
しかし、
ルールは本当に私たち一人ひとりのために存在しているのだろうか。
あるいは、
別の何かを守るためのものなのだろうか。
ルールは秩序を維持する装置である
最も基本的な役割として、
ルールは集団の秩序を保つために存在する。
もしすべての行動が自由であれば、
他者との衝突は避けられない。
強い者が弱い者を押しのけ、
場当たり的な判断が社会を不安定にする。
ルールは、
そのような不確実性を減らすための
共通の前提条件だ。
この意味では、
ルールは「全員のため」にあると言える。
ルールは中立ではない
一方で、
すべてのルールが公平に設計されているわけではない。
ルールは人によって作られ、
特定の価値観や目的を反映する。
時にそれは、
既に力を持つ側に有利に働く。
現状を維持するための仕組みとして
機能することもある。
「秩序のため」という言葉の裏に、
誰の秩序なのか、
誰の都合なのかという問いが潜んでいる。
個人を守るルール、個人を縛るルール
ルールは二つの顔を持つ。
一つは、
個人を理不尽から守る盾としての顔。
もう一つは、
個人の自由を制限する鎖としての顔。
同じルールであっても、
置かれた立場によって
守られていると感じるか、
縛られていると感じるかは異なる。
この曖昧さが、
ルールに対する不信や反発を生む。
ルールが「絶対化」されるとき
本来、
ルールは手段であり目的ではない。
しかし、
「ルールだから」という理由が
思考停止の合言葉になるとき、
手段は目的へとすり替わる。
ルールを守ること自体が善とされ、
その結果生じる不合理や不利益は
見過ごされがちになる。
このときルールは、
人のためのものではなく、
ルール自身を守るための存在になる。
ルールを問い直すという行為
ルールを疑うことは、
無秩序を望むこととは異なる。
むしろ、
「誰のために」「何のために」
そのルールが存在するのかを
確認する行為だ。
変化する社会において、
ルールもまた更新される必要がある。
問い直されないルールは、
やがて現実と乖離し、
人を守る力を失っていく。
ルールとどう向き合うか
私たちは、
すべてのルールを拒否することも、
すべてを無批判に受け入れることもできない。
必要なのは、
従うか破るかという二択ではなく、
考え続けるという態度だ。
ルールを理解し、
その背景を知り、
必要であれば疑問を持つ。
その姿勢こそが、
ルールを人のためのものとして
保ち続ける条件なのだと思う。
結び――人のためのルールであるために
ルールは、
社会を成り立たせるために不可欠だ。
しかし同時に、
人から切り離されたルールは
簡単に人を苦しめる。
だからこそ、
ルールは常に
人の側から見直されなければならない。
誰のために存在しているのか。
その問いを手放さないことが、
秩序と自由のあいだで
私たちができる最も誠実な行為なのかもしれない。
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