嘘は常に悪なのか

真実と配慮のあいだで

嘘は、多くの場合、
否定的な意味を帯びて語られる。

嘘をつくことは不誠実であり、
信頼を壊し、
倫理に反する行為だとされる。

しかし私たちは日常の中で、
意識的であれ無意識であれ、
嘘を完全に避けて生きてはいない。

では、
嘘は本当に常に悪なのだろうか。

嘘が悪とされる理由

嘘が問題視される最大の理由は、
他者の判断を誤らせる点にある。

正しい情報に基づいて
選択する権利を奪うことは、
他者の自律性を侵害する。

また、
嘘が常態化すれば、
言葉そのものの信頼性が失われる。

この意味で、
嘘は社会的基盤を
静かに侵食する行為だと言える。

真実が常に善とは限らない

一方で、
真実を語ることが
常に善であるとも限らない。

事実であっても、
それをどう伝えるかによって、
相手を深く傷つけることがある。

真実は、
それ自体が暴力になりうる。

この点を無視して
「正直であること」だけを絶対視すると、
配慮や関係性は切り捨てられる。

嘘と配慮の境界

配慮のための嘘は、
しばしば「優しさ」として正当化される。

相手を守るため、
状況を悪化させないため。
その意図は理解できる。

しかし、
配慮という名の嘘が、
相手の現実認識を
長期的に歪めることもある。

一時的な安定と、
長期的な自律。
どちらを優先するかで、
評価は変わる。

嘘の倫理は文脈に依存する

嘘の善悪は、
行為そのものよりも、
文脈によって左右される。

誰に対して、
どのような立場で、
どのような影響を及ぼすのか。

同じ嘘でも、
権力を持つ側がつく嘘と、
弱い立場の人がつく嘘では、
意味が異なる。

倫理は、
抽象的なルールではなく、
関係性の中で立ち上がる。

嘘を許すことと、嘘を肯定すること

嘘が常に悪でないとしても、
嘘を無条件に肯定することはできない。

嘘を許すことと、
嘘を良いものとすることは別だ。

嘘を選ばざるを得なかった状況を
理解することと、
嘘を推奨することは違う。

この区別を失うと、
倫理は極端に振れやすくなる。

正直さとは何か

正直さとは、
常に事実を語ることではない。

自分が何を隠し、
何を語らなかったのかを
自覚していること。

そして、
その選択に
責任を持とうとする態度。

沈黙や曖昧さも含めて、
自分の言葉に誠実であろうとする姿勢が、
正直さの核心なのかもしれない。

結び――嘘をめぐる不完全な判断

嘘は、
常に悪だと言い切ることも、
常に許されると言い切ることもできない。

だからこそ、
嘘は問いを伴う。

なぜその嘘を選んだのか。
誰のためだったのか。
どんな影響を残すのか。

完璧な答えは出ない。
それでも考え続けることが、
嘘と共に生きる私たちに残された
最低限の倫理なのだと思う。

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