技術進歩は無条件に肯定されるべきか

便利さの裏側で

技術は、
人間の可能性を拡張してきた。

距離を縮め、
時間を短縮し、
身体や認知の限界を補う。
現代社会は、
技術進歩の恩恵の上に成り立っている。

それゆえに、
技術はしばしば
「進めば進むほど良いもの」
として語られる。

だが本当に、
技術進歩は無条件に肯定されるべきなのだろうか。

技術進歩がもたらしたもの

医療、通信、交通、情報処理。
技術は多くの苦痛を減らし、
選択肢を増やしてきた。

命が救われ、
声が届き、
知識へのアクセスは広がった。

この意味で、
技術進歩が人間の幸福に
寄与してきたことは否定できない。

技術を否定することは、
この現実を無視することでもある。

技術は中立ではない

一方で、
技術はしばしば中立な道具として扱われる。

使い方次第で善にも悪にもなる、
という説明は分かりやすい。
しかしそれだけでは不十分だ。

技術は、
特定の価値観や目的を
内包した形で設計される。

効率を重視する技術は、
速さを正義にする。
監視を可能にする技術は、
管理を前提とした社会を生む。

技術は、
社会の方向性そのものに
影響を与える。

技術が問いを奪うとき

技術が進歩すると、
「できるかどうか」の問いは
「やるべきかどうか」より先に立つ。

可能であることが、
実行の理由になる。

だが、
できることと、
すべきことは同義ではない。

技術が問いを代替するとき、
判断は自動化され、
責任の所在は曖昧になる。

進歩の速度が速いほど、
立ち止まる余地は失われやすい。

不均等に分配される影響

技術の恩恵と負担は、
均等に分配されない。

便利さを享受する人と、
置き換えられる人。
効率化の恩恵を受ける側と、
監視される側。

技術進歩は、
格差を縮めることもあれば、
固定化することもある。

無条件の肯定は、
この不均衡を見えにくくする。

技術を止めることはできるのか

しばしば、
「技術の進歩は止められない」
と言われる。

確かに、
完全に止めることは難しい。
だが、
進め方を選ぶことはできる。

どの技術を優先するのか。
どこに制限を設けるのか。
誰の声を反映させるのか。

進歩を前提にしながらも、
選択の余地は残されている。

無条件の肯定が生む危うさ

技術進歩を
無条件に肯定すると、
批判は「反時代的」として退けられる。

慎重さは臆病とされ、
懸念は足を引っ張るものとして扱われる。

だが、
技術を疑うことは、
進歩を拒むことではない。

むしろ、
人間の側に判断を取り戻す行為だ。

結び――進歩に問いを伴わせる

技術進歩は、
善にもなり、
問題にもなりうる。

だからこそ必要なのは、
無条件の肯定でも、
感情的な否定でもない。

「この技術は、
誰のためにあり、
何を変え、
何を失わせるのか」

その問いを
進歩と同時に持ち続けること。

技術が人間を導くのではなく、
人間が技術を選び取る。
その関係を保てるかどうかが、
これからの社会の倫理を
静かに決めていくのだと思う。

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