決めることと意味づけの関係
何かを選ぶとき、
「正しい選択」を求めたくなる。
間違えたくない。
できるだけ良い結果を得たい。
その思いは、
選択に対して一つの基準を求める。
だが本当に、
選択にはあらかじめ決まった「正解」があるのだろうか。
それとも、
別の捉え方が必要なのだろうか。
正解を求める理由
選択に正解を求めるのは、
不確実さを減らしたいからだ。
結果が予測できれば、
迷いは小さくなる。
どちらを選べばよいかが明確であれば、
判断の負担も軽くなる。
また、
後悔を避けたいという意識もある。
「これが正しかった」と言える基準があれば、
選択を肯定しやすくなる。
結果は後からしか見えない
しかし多くの場合、
選択の結果は事前には確定しない。
同じ選択でも、
状況や偶然によって結果は変わる。
そのため、
選んだ時点で「正解」と断定することは難しい。
結果が出た後に、
初めて評価が与えられる。
つまり、
正解は先にあるものではなく、
後から与えられるものとも言える。
選択は意味づけによって変わる
ここで重要になるのは、
選択そのものだけでなく、
その後の意味づけである。
同じ結果であっても、
それをどう受け取るかによって、
評価は変わる。
失敗と捉えることもできれば、
過程の一部と見ることもできる。
このように、
選択の価値は固定されているわけではない。
意味づけの中で、
変化していく。
正解という考え方の限界
「正解」という考え方は、
明確な基準がある場合には有効である。
しかし、
人生の多くの選択においては、
その基準自体が一つに定まらない。
何を重視するのか。
どの結果を望むのか。
それによって、
「正しさ」は変わる。
つまり、
選択における正解は、
絶対的なものというより、
条件付きのものに近い。
結び――正解を探すのか、選択を引き受けるのか
選択に正解を求めることは、
自然なことでもある。
だが、
その正解が最初から存在しているとは限らない。
選んだ後に、
どのように関わるか。
どのように意味を与えるか。
その過程の中で、
選択は形を持っていく。
正解を探すことと、
選択を引き受けること。
そのどちらに重心を置くのか。
選択とは、
決める行為であると同時に、
その後をどう生きるかという問いでもあるのかもしれない。
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